この日本語っておかしくないかい?
最近なんだか、良く分からない日本語が横行していると思う。
ネットスラングなんかはそうだと分かるのだけど、それにしても判断に困る言葉も多いよね。
特に最近気になっているのが
『やらない善より、やる偽善』
って言葉だ。
この言葉って良く良く見てみると、なんかおかしいと思うんだ。
そもそもの話、やらない善ってのはなんだろうか?
やらないのであれば、善ではないよね。
その時点で既になんかおかしいと思うんだ。
そして続くのが、やる偽善なんだけどさ。
ここで使われている偽善って、意味が間違ってない? って話だ。
コトバンクというサイトから偽善の意味を抜粋して引用してみようか。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
と、あるわけだ。
つまり、偽善というのは善に見せかけた行為もしくは考え方となる。
例えばだけど、友人が恋人と別れたとしよう。
この時に、口では残念だね、またいい人が見つかるよといいながら、胸の裡ではざまぁみろと思っているようなケースが偽善だね。
他にも、なにかしらの寄付をしたと友人たちに話すものの、実際には寄付などしていない、などが該当するだろう。
イメージとしては腹黒い人ってのが近いかもしれない。
なので、やらない善よりやる偽善とは意味が通じない言葉なんだと思うんだよね。
偽善はどんなに取り繕っても偽善であり、決して善ではない。
仮にもなにか他人にたいして良いことを行うなら、それは善行なのだろう。
その善行がされた方にとって、良いことか悪いことかはまた別の話だ。
それでも無理に解釈するのなら、やる偽善とは、自己満足を伴った善行のことにしないと辻褄があわない。
だが、善ってのは自己満足で完結するものじゃないだろうか。
先ほどの話にも通じるのだが、この世界に完全な善なんてものはない。
ましてや卑小なる人の身にて行えることなど、たかが知れているワケだ。
善なんてのは個人個人の考え方であり、どれもが正しく、どれもが正しくないものだとも言える。
確かクレヨンしんちゃんだったか。
正義の反対は別の正義だって台詞があったかと思う。
まさしくこの言葉は正論だ。
宗教的な意味合いでいえば、また別なのだろう。
しかし、ボクは宗教には明るくなりので良く分からない。
まぁなんだかんだと書いたけどさ。
ともかくボクはこの言葉は良く分からないし、巧いこと言ったみたいな気にもなれないってことで、ファイナルアンサーだ。